自分がモテないのはブスなせいだと思っていました。
でもどうやら違うようです。
容姿よりももっと致命的に何かが欠落しているようなのです。
それに気づくのも遅かった、というかいまだに何が欠落しているのか気づけていない時点で相当ヤバイのですが。
30数年生きてきて、いやもっと早い段階で、人は色々な尺度で(たとえば容姿、たとえば頭の良さ、たとえば愛嬌の有無、才能の有無、モテるかどうか、など多岐にわたって)自分の"立ち位置"を把握していくのだと思います。
私は両親と環境に恵まれ勉強ができたので、頭がいいとされる大学を出て、仕事も自分なりに頑張ってきました。
でもモテない。
誰にも選ばれない。
大学時代のサークルでは特技をいかんなく発揮し、男性陣といつも競っていました。
可愛げのない女でした。
だからモテない。
この分析が合っているのかはわかりませんが、とにかくモテませんでした。
モテませんでしたというより、私は30を過ぎるまで、恋愛を勘違いしていました。
恋愛ってこう、美男と美女が好き合って、惹かれ合い、やがて結ばれるものだと思ってました。
でもそれは万人に許された娯楽ではない。
自分でも書いているではないか。「美男と美女が」って。
「○○ちゃんは早くに結婚したなー、旦那さんイケメンだなー、」
それは美男と美女だからなんだってことに、ようやく気が付いたのです。
運命の相手がいるのは美男と美女だけ。
(もっとも、美男と美女でさえ、そのどちらかが苦労して苦労してお付き合いに至ったケースもあるそうですから、みんな頑張っているんですね(小並感))
では美男や美女ではない人はどうしているか?
妥協をしているんですね。どちらかが。
フツメンとフツ女に運命の人なんていない。
若い頃に勢いで付き合ってそのまま結婚するか、どちらかが結婚に焦ったころに出会って必死で必死で相手を口説いて結婚に持ち込むか、そのどちらかなんだと思います。
というかそう思わせてくれ。運命の人なんていないと思わせてくれ!
フツ女は、好きな人に好かれるなんて無理なんだと。
不特定多数ととにかく出会って、出会いまくって、その中で諸々の折り合いがついてご縁のあった人と頑張って恋のようなものをして、やっと結婚する、
せいぜいこれがフツ女の歩む幸せへの道なんだと、ようやく気付きました。
今までの私がどうして恋愛の機会に恵まれなかったか、これで答えがはっきりした気がします。
こんな私のことを有難くも好いてくださる男性もいました。
でも↑の真理に気づいていなかった私は、その人たちのことを好きにならなかった。(なれなかった、と言えるような努力すらしていない)
そうこうしている間に歳もとり、誰にも好かれなくなって、遅ればせながら焦り始める。
ことわざにでもできそうなくらい、見事な自業自得です。
別に自分の顔が嫌いではないし(好きでもない)、もっと美人に生まれたかったとは今更思わないけど、
ルッキズムに基づくと「恋愛」というものの定義が全然変わってくる、という現実に気づいたのは
自分の中で一歩成長したなと思います。
そして自分がいかにルッキズムに囚われているかも、
このブログを書きながら改めて思い知ったところです。